福田対麻生 2007 9 24

 麻生氏は、実績やリーダーシップにおいて優れていると思います。
重要閣僚を歴任し、党務においても実績を残したと思います。
つまり、その実力から首相に最も近いと言えるでしょう。
 しかし、不安材料は、「失言」です。
安倍内閣が苦しんだ原因のひとつに、相次ぐ閣僚の失言がありました。
閣僚の失言は、陳謝すれば済む話でしょうが、
首相の失言となると、陳謝で済む話ではないのです。
内閣そのものが吹き飛んでしまう事態になる可能性があるのです。
 「言葉を正す」、「言葉を調和する」。
これは、首相としての大切な資質です。
言葉には、力があり、言葉が仕事をするのです。
人を動かす言葉、歴史に残る言葉には、魂が込められているのです。
 私には、若い頃、このような経験がありました。
その当時、私は、よく言えば、舌鋒鋭く、
悪く言えば、話す言葉が悪く、
ある日、鏡を見たら、口が曲がっていました。
 これは、大変なことになったと思いました。
その時、ふと、高校時代の話を思い出したのです。
修学旅行で、京都へ行った時、高僧が、こう言ったのです。
「心が乱れているから、言葉が乱れる。
しかし、現代人に、心を正せと言っても、
『心とは何か』がわかっていない。
だから、心を正す前に、まず言葉を正せ。
これが、仏教で言う『正語』である」

さて、「言葉が仕事をする」という実例を示しましょう。

自由民権運動 demand for democratic rights 2003 8 27

「板垣死すとも自由は死せず。」(1882年4月6日)
 日本における自由民権運動の指導者、板垣退助の言葉です。
当時、官僚主導の政治を推し進める政府に対して、
板垣退助は、民衆が議員を選んで、国を運営する議会制の導入を訴えました。
 しかし、政府は、板垣退助の活動を警戒して、
次々と、言論弾圧の条例を制定したのです。
歴史に残る名言が発せられたのは、そういう状況でした。
 自由を獲得するのは、困難であり、
 自由を維持するのも、困難である。
 そして自由の価値を忘れるのも、早い。
 しかし、自由の指導者は死すとも、自由の歴史は残る。















































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